Wa-luck(ワラック)

2019.5.8
スポーツ

みんなが知ってるスポーツ選手のめっちゃいい話 -vol.1-

大望青年会スポーツ選手のめっちゃいい話

三浦大輔 元プロ野球選手


 阪神の選手では絶対に味わえない、阪神ファンならではの恍惚があることを先日知った。
 
「甲子園で先発の役目を果たせたら、7回裏のジェット風船、あれをマウンドの上から見られるんですよ。阪神の選手はベンチから見るしかないものを、ぼくだけが、360度すべての方向から打ち上げられるジェット風船を眺めることができる」
 
 教えてくれたのは、一昨年まで横浜De NAベイスターズのエースとして活躍していた三浦大輔さんである。

 熱狂的な阪神ファンとして育った三浦さんにとって、甲子園でのタイガース戦は、だから特別な一戦だった。自分にしか見られない光景をまた味わうために、というモチベーションは、間違いなく大きな力になっていたと彼は言う。阪神を力づけるための応援が、〝虎キラー〟と呼ばれた男の背中を押していたのである。

 ちなみに、奈良県出身の三浦さんは、天理でもなく智弁でもなく、公立の高田商の出身。本人曰く、強豪校に進まなかった理由は至ってシンプルなもので「そんなとこへ入れるようなレベルの選手ちゃうかったから」とのこと。

 それゆえ、といえば失礼ながら、高校に入ってからのある時期、気持ちが野球から離れかけたことが三浦さんにはあったという。
 
「まあ遊びたい盛りでしたからねえ。1年の秋、先輩たちが引退したことで気が抜けて、何かと理由をつけては部活をサボるようになってしまって」
 
 名もない公立高校の、名もない1年生部員。おそらくは昔も今も、日本中のあちこちで、部活からドロップアウトしそうになる高校生はいた(いる)はずである。そして、決して少なくない割合の生徒が、誰からも引き止められることなく、スポーツの世界に別れを告げていく。

 
 
 だが、三浦さんはそうならなかった。
 
「担任の先生とか野球部の仲間とかが、とにかく必死になって引き止めてくれたんですよ。なんでぼくみたいな人間のためにあそこまでやってくれたんか。めちゃくちゃありがたいし、ちょっと不思議な気もします」
 
 野球を続けたかったから、というよりは周囲の熱意に根負けした形で、三浦さんは退部を思い止まった。一度は失ってしまった監督や仲間からの信頼を取り戻すのは簡単なことではなかったが、逆に、失ったものの大きさとそれを取り戻すことの困難さは、三浦さんがそれまで踏み込めなかった“あと一歩”を踏み出すための大きな力となる。
 
「忘れられないのは、野球部に復帰するにあたって顧問の先生から言われた一言ですね。信頼って、築くのには時間かかるけど、失うのは一瞬なんやぞって。お前はそれを失ってしもたんやぞって。聞いた時は正直なんとも思わなかったんですけど、いざもう一度野球部に入ってみると、うわ、俺信用されてへんわっていうのがよくわかったんです。ほんまに病気で休んでも、サボッてんのとちゃうかって見られる。一生懸命やってるつもりでも、手ぇ抜いてんのとちゃうかって見られる。もうね、イヤでも必死で頑張らなしゃあない」
 
 失ってみて、初めてわかった大切さがあった。その大切なものを取り戻すために、三浦さんは練習に没頭した。誰よりも、一生懸命にやっている仲間の誰よりも必死にやるしか、信頼を取り戻す道はなかった。

 そんな毎日が、三浦さんを少しずつ変えていく。
 
「高校2年の時かなあ、進路相談の時に『プロ野球選手』って書いたら、野球部のみんなから爆笑されました。ぼく、ほんまにその程度の選手でしたから」
 
 中学時代は凡庸で、高1の時は野球を捨てかけ、高2になっても誰からもプロは無理だと見られていた青年は、しかし高3の夏、〝公立の星〟となって奈良の私学2強の前に立ちはだかる存在となる。

 最後の夏、エースナンバーを背負った三浦さんは、あとひとつで甲子園、というところまでチームを導いた。

 惜しくも決勝では天理の前に屈したものの、その快投ぶりはプロのスカウトの目に留まり、その年の秋、三浦さんはドラフト6位で横浜大洋ホエールズからの指名を受ける。
 
「なんでなんでしょうねえ。あのころになると、自分はプロになる、絶対になれるって思い込んでましたから。一応、社会人野球への道も用意していただいてたんですけど、頭の中は100パーセント、プロしかなかった」
 
 野球部を辞めかけたのは、むろん、ホメられたことではない。しかし、ドロップアウトしかけた経験がなければ、三浦さんがプロになることはなかったかもしれない。自動的に積み上がっていた周囲からの信頼と、ゆえに生じる居心地の良さは、凡庸な投手だった三浦さんを、プロ注目の存在に変えるほどの過酷な環境は生まなかっただろうからである。

 高校時代の教訓は、プロに入ってからの三浦さんにとっても大きな支えとなった。
 
「ぼくなんかドラフト6位で入った選手ですから、才能とか将来性で言ったら、ぼくなんかよりはるかに上の選手がいっぱいいたわけです。でも、幸か不幸か高校時代にドロップアウトしかけて、いろんな人に助けてもらって、なおかつ信頼を失うことの痛さ、辛さを体験できてたのは大きかった」
 
 プロとて人間である。結果がでなければ、首脳陣に認めてもらえなければ自暴自棄になりたくなる時もある。そして、実際になってしまう選手もいる。三浦さんとて例外ではなかった。だが、道を踏み外したくなる衝動が込み上げてくるたび、思い浮かんでくる顔がいくつもあった。

 もう裏切れないし、裏切りたくない。

 失敗をしたくてする人間などいない。けれども、失敗をしなければ見えなかった世界というものがあることを、いま、三浦さんは若い世代に伝えている。成功への道は、整備された一本道ばかりではないし、力を与えてくれるのは、輝かしい成功ばかりでもない。

 阪神ファンとして最高の恍惚を味わう道が、阪神に入団することだけではないように、である。

 
(かねこ たつひと)

 
 
金子達仁 プロフィール
1966年、神奈川県生まれ。スポーツライター。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部を経て、95年にフリーとなる。主著に『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)など多数。最新刊に『プライド』(幻冬舎)がある。