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2020.8.6
スポーツ

市川大祐・元プロサッカー選手(みんなが知ってるスポーツ選手のめっちゃいい話 -vol.8-)

大望青年会スポーツ選手のめっちゃいい話


(天理教青年会より)
 

市川大祐 元プロサッカー選手


 
市川大祐、という名前を目にしてピンと来る方がいれば、かなりのサッカー通である。
 
20年前、まだ高校2年生だった市川さんは、文字通り日本サッカー界に激震を走らせた。
 
何しろ、まだ高校2年生で、98年3月21日にJリーグにデビュー(これ自体も相当にとんでもないことだが)したばかりの少年が、いきなり初のワールドカップ出場を決めたばかりの日本代表に選出されてしまったのだ。
 
市川さんを取り巻く環境は、1日にして激変した。
 
自分でもちょっとワケがわからなくなっちゃいましたね。
 
それまで取材なんかほとんど受けたことがなかったのに、大勢の記者の方が押し寄せてきて(笑)」
 
すでにその4年後、02年のワールドカップが日韓共催で決まっていた。
 
大会史上、開催国がグループリーグで敗退したことは一度もない。悲願のワールドカップ初出場を決めたばかりの日本ではあったが、わずか4年後には勝利を義務づけられた戦いが待ち受けている。当時の岡田監督からすれば、4年後のために若い才能に経験を積ませておきたかったのだろう。
 
とはいえ、Jリーグデビューを果たしたばかりの17歳がA代表に招集されたとなれば、相当に異例というか、前代未聞の事態である。まだ日本サッカーの歴史が浅かったがゆえに起こり得た、そして許された岡田監督の決断だった。
 
もっとも、周囲の狂騒や岡田監督の思惑は、懸念されたほど高校2年生に影響を及ぼさなかった。
 
騒がれようが騒がれまいが、サッカーをやることに変わりはない。そんな思いが市川さんにはあった。
 
岡田監督が4月1日に行われる日韓戦のメンバーに市川さんを招集すると発表したのは、3月26日のこと。
 
Jリーグデビューからわずか5日後の代表入りだった。発表2日後の28日には鹿島での対アントラーズ戦があり、メディアは試合そっちのけで市川さんの周りに群がった。
 
「確か、試合のあとにアントラーズさんがわざわざ僕のために記者会見場を作ってくださったんです」
 
わたしの知る限り、Jリーグに限らず、ホームチームがアウェーチームの1選手のために会見場を設置した例は、それが大物選手にとって最後の試合になることがわかっていた場合に限られる。
 
それでも、アントラーズが異例中の異例の措置をとらざるを得なかったぐらい、市川さんを巡る報道陣の過熱ぶりは凄まじかった。
 
そして、アントラーズ戦の4日後、堂々の日本代表デビューを果たす。17歳322日での代表デビューは、いまも破られていない最年少記録である。
 
フランス・ワールドカップの翌年には、ナイジェリアで20歳以下の世界選手権ワールドユースが開催されることになっており、すでにA代表でのデビューを果たしている市川さんは、チームの中心としての活躍が期待されていた。
 
ところが、自身初の世界大会へ向けてトレーニングに励んでいた市川さんを異変が襲う。
 
「とにかく疲れがとれない。何をやってもだるい。身体は疲れ切っているのにベッドで横になっても眠れない。そんな状態になったんです」
 
最初は単に疲れがたまっているだけかと思っていた市川さんだったが、症状は悪化するばかり。たまりかねて医師に診てもらうと、そこで聞かされたのは耳慣れない病名だった。
 
「オーバートレーニング症候群。原因はいまでもわかってないらしいんですが、とにかく、過剰なトレーニングを続けたことが原因だと」
 
史上最年少で代表に抜擢され、ユース代表でも要として期待された少年にとっては、あまりにも酷な診断だった。フランス・ワールドカップでは直前でメンバーから外れた。
 
もっと頑張ろう、もっと頑張って、地元で開催されるワールドカップには何としてもレギュラーとして出場しようと考えるのは、アスリートならば当然のことではないか。
 
だが、その当然の思いが、市川さんを窮地に追いやってしまった。
 

 
さらに、当時A代表とユース、オリンピック代表の監督も兼任していたフィリップ・トルシエの言葉が市川さんに追い打ちをかける。
 
「福島のJヴィレッジでトルシエに報告に言ったんです。そしたら、ものの30秒も話さないうちに、激怒して部屋から出てっちゃいました」
 
『オーバートレーニング症候群』という病名と原因が、いまよりも理解されていなかった時代である。
 
チームを任されていたトルシエからすれば、期待していた選手が自己節制をできずに体調を崩したとしか思えなかったのだろう。
 
以後3年間、エスパルスでどれだけ結果を残しても、市川さんが代表に招集されることはなかった。
 
それぐらい、トルシエからすれば市川さんに期待し、裏切られたという思いが大きかったのだろう。
 
「エスパルスでは実績を残せてるっていう実感はあったんです。これだったら呼ばれるかな、今度こそ呼ばれるだろうって思ってたら、ずっと呼ばれませんでした(笑)」
 
いつ報われるかもわからない努力の日々にも、市川さんは腐らなかった。
 
そして、日韓ワールドカップの直前、ついにトルシエの怒りは解け、ギリギリ滑り込む形で、市川さんは本大会出場メンバーに名を連ねることができた。
 
それでも、開幕直前の壮行試合となったスウェーデン戦を、市川さんはベンチで迎えた。
 
通常、直前の試合に出場したメンバーは、そのまま本番にも起用されることが多い。市川さん自身、自分の優先順位がそれほど高くないのだろうという実感があった。
 
それだけに、驚きは大きかった。
 
「ベルギーとの試合当日、行くぞって言われて。聞いた瞬間、喜びとプレッシャーが凄い勢いで沸き上がってきたのを覚えてます」
 
一度は崖から転落しかけたシンデレラは、ワールドカップの檜舞台で再び脚光を浴びた。
 
フランスでは3戦全敗に終わった日本は、ベルギーと引き分け、ロシアとチュニジアを倒して見事決勝トーナメント進出。
 
チュニジアを倒す決定打となった中田英寿のダイビング・ヘッドは、市川さんのクロスから生まれたものだった。
 
いま、市川さんは古巣のエスパルスで普及の仕事についている。
 
かつてはサッカー王国と言われながら、ここにきて勢いを失いつつある静岡に再び力を取り戻させるのがこれからの仕事。簡単な仕事ではない。
 
ただ、もっと困難な状況と直面してきた経験が彼にはある。今一度、市川さんがスポットライトを浴びる日が来ることを、わたしは期待している。

 
(かねこ たつひと)
 

金子達仁 プロフィール
1966年、神奈川県生まれ。スポーツライター。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部を経て、95年にフリーとなる。主著に『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)など多数。最新刊に『プライド』(幻冬舎)がある。

 

 

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