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2020.6.11
スポーツ

セルジオ越後・元プロサッカー選手(みんなが知ってるスポーツ選手のめっちゃいい話 -vol.7-)

大望青年会スポーツ選手のめっちゃいい話


(天理教青年会より)
 

セルジオ越後 元プロサッカー選手


 
長く生きていれば、人間、誰しも恩人の一人や二人はいるものだが、ならば自分にとっての恩人は誰かと自問してみると、考えるまでもなく一人の名前が頭に浮かぶ。
 
セルジオ越後さんである。
 
サッカーにあまり興味のない方でも、名前ぐらいは聞いたことがあることと思う。サンパウロで生まれた熊本と姫路のハーフで、日本在住のブラジル人。サッカーファンの中でも、長く「辛口評論家」として知られている。
 
初めて越後さんと出会ったのはいまから30年ほど前のこと。勤務していたサッカー専門誌編集部の先輩方がごそっと中途退社してしまい、入社間もないわたしが越後さんの技術レッスンページを担当することになったのだ。
 
実際にお会いし、まず度肝を抜かれたのはその途轍もないテクニックだった。どれぐらい凄かったかというと、当時の日本リーグでプレーしているブラジル人選手や、日本代表の選手が「ド下手」に見えてしまうぐらいに凄かった。
 
当然と言えば当然である。当時の日本にやってきたブラジル人選手のほとんどは、向こうでプロになれずにやってきた選手だった。日本代表はアマチュアで、ワールドカップはおろか、オリンピックのアジア予選でも歯が立たないレベルだった。
 
ブラジルで日系人初のプロ選手となり、ブラジル代表の選手からも一目置かれる存在だった越後さんのテクニックになどかなうわけがない。
 
もっとも、そうは言っても当時の越後さんはすでに40歳を越えたロートルである。成長著しい若手であれば負けないのでは、と考え、将来の日本代表間違いなしと言われていた礒貝洋光、永井秀樹という2人の大学生をアシスタントで呼んだことがある。高校生たちを前に、3人でボールの取り合いをやってもらったのだ。
 
「ん、じゃあ2人で取りにきな。ボールに触れたらお小遣いあげるよ」
 
そう言われてムキになった2人は本気で越後さんのボールを取りにいったが、結論からいうと、1分経っても、ただの一度もボールに触れることはできなかった。それどころか、少なく見積もっても5回以上、2人は股間を抜かれてしまった。
 
これは、サッカー選手にとって最悪の屈辱である。それぞれガンバ、ヴェルディに進んだ2人は、大方の予想通り日本代表となり、最高年俸が1億円を超えた当時の日本人の若手としては超一流だったのだが。
 
そんなこんなでまずは超絶テクニックに心酔してしまったわたしだったが、これは序の口に過ぎなかった。だんだんと親しくさせていただくようになり、食事をご一緒させていただく機会が増えてくると、今度は話術に魅了されてしまったのである。
 
いや、正直言って越後さんの日本語はあれから30年が過ぎたいまも上手いとは言い難い。ただ、ものの見方、着眼点が平均的な日本人とは根本的に違う。
 
いっそのこと、レッスンページではなくコラムをやっていただいたら面白いのでは、と思いつき、早速編集長にかけあったところ、何せ人員不足のおり、「お前が担当するならいいよ」とあっさりOKが出てしまった。
 
かくして始まったのが、今なお『サッカーダイジェスト』で連載が続き、某テレビ局がサッカー番組のタイトルにも使った『天国と地獄』というコラム。タイトルを決めたのは、もちろん越後さん
である。
 
「日本のスポーツって、勝っても負けても感動をありがとうで終わりでしょ。アマチュアはいい。でも、これじゃプロは強くならないよ。勝てば天国。負ければ地獄。そういうのが当たり前にならなきゃ」
 
以来、出版社を辞めるまでの5年間、わたしは毎週越後さんから話を聞き、ゴーストライターとしてページを構成していくことになった。
 
中でも大きかったのは、こんな一言だった。
「サッカーにとって、マスコミっていうのは、親なんだよ。頑張ったら100点取れるかもしれない子が、60点取った。カネコが親だったらどうする? 褒める? 僕ならもっと頑張れってお尻を叩くけどね」
 
実を言えば、最初のうちはわたし自身「越後さんって厳しすぎるのでは?」と感じたことが多々あった。だって、わたしは日本人で、ワールドカップになんか永遠に出られるはずのない民族で、だからいくら頑張っても100点なんて取れるわけがないと思っていたから。
 

 
だが、越後さんはケロッとして言うのだ。
 
「みんな日本人だから、日本人だからっていうけど、僕のお父さんとお母さんは日本人で、だからプロになんかなれるわけがないってみんなに言われたけど、僕はなれたよ」
 
その凄さが初めてわかったのは、ブラジルを訪れたときだった。この国では、21世紀に入ってもなお、サッカーが下手な選手のことを「日本人のようだ」と表現することがある。
 
40年前の越後さんが直面した差別や偏見は、途方もないものがあったことだろう。そんな中で常識を打ち破ってきた人間からすれば、自分たちで限界を決めてしまう日本人が何とも歯がゆかったに違いない。
 
親になったつもりで競技を見守る。日本人であることを敗北の理由にしない。いま、わたしが仕事をしていく上で規範としている2つのルールは、そっくり越後さんから学んだものである。
 
さて、そんな越後さんも、もう70歳を越えた。もうすっかりおじいちゃん。丸くなってしまってもおかしくない年齢だが、どうしてどうして、愛情に裏付けされた辛口は依然健在である。
 
先日、お会いしたときも開口一番に一言。
 
「大迫ハンパないってすっかり流行っちゃったでしょ。誰も大迫のプレーを評価してない。高校時代に対戦相手が言った言葉だけが一人歩きしてる。あのフレーズを流行らせることで、日本のサッカー強くなるのかな」
 
全くもって、仰せの通り。同じ現象がブラジルで起きるとは考えられないし、野球や相撲であればプレーや取り組みの善し悪しより誰かが言ったほめ言葉が大きく取り上げられることなど、まずありえない。
 
もし今後、テレビなどで越後さんの辛口コメントに接する機会があったら、そして「ちょっと厳しすぎるのでは」と思ったら、思い出してほしい。
自分がサッカー界の親だったら。
 
そう考えたら、辛口という一言で片づけられてしまう越後さんの言葉が、違った見え方をしてくるはずである。

 
(かねこ たつひと)
 

金子達仁 プロフィール
1966年、神奈川県生まれ。スポーツライター。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部を経て、95年にフリーとなる。主著に『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)など多数。最新刊に『プライド』(幻冬舎)がある。

 

 

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(天理教青年会より)
 
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