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2020.5.7
スポーツ

谷繁元信・元プロ野球選手(みんなが知ってるスポーツ選手のめっちゃいい話 -vol.6-)

大望青年会スポーツ選手のめっちゃいい話


(天理教青年会より)
 

谷繁元信 元プロ野球選手


 
かれこれ30年ほどインタビューの仕事をやってきて一度も出会ったことがないのだから、これはもう、断言してしまっていいと思う。
 
成功者は、己の幸運を確信している。
 
たとえば、スポーツの世界に怪我はつきものである。サッカー選手が足を骨折する。野球選手が肩を壊す。
 
嬉しいわけがない。己の不運を嘆きたくもなる。どれほど超一流のアスリートであっても、一度は深刻な危機に直面したことがあるものだ。
 
そして、そこが別れ道になる。
 
普通の人間は、訪れた不運を嘆くだけで終わる。しかし、頂点にまで登り詰める人間は、不運を好機に変えようとする。痛めた部分を癒すだけでなく、それまで手をつけることができなかった部分を強化するチャンスだと考える。やがて完治して活躍するようになると、彼らは言うのだ。
 
「あのとき怪我をしてよかった」と。
 
もちろん、中には責任や落ち度などまるでなかったにもかかわらず、致命的なトラブルに見舞われ、表舞台から姿を消していく才能がいないわけではない。
 
不運な挫折者は、確実にいる。ゆえに、成功者とは、不運でさえも幸運に変えていくだけでなく、乗り越えられない挫折に直面せずに済んだ幸運に感謝している人たちでもある、とわたしは思う。
 
キャッチャーという重労働なポジションながら、プロ野球最多出場記録を作った谷繁元信さんも、不運の中に幸運を見出し、様々な事象に対する感謝を忘れない人だった。
 
そもそも、彼の野球人生は思春期の段階から大逆風にさらされている。
 
広島に生まれ、中学生のころには広島の野球関係者でその名を知らない者はいない、とまで言われる存在になっていた。
 
そんな谷繁さんは、当然、広島県内の高校に進学するつもりだった。
 
ところが、野球部の関係者から「受けてくれさえすれば大丈夫」と言われていた入学試験に、谷繁さんは失敗してしまう。
 
どうやら、テストの点が野球部監督の権限をもってもかばいきれないぐらい低かったのが原因らしいが、とにかく、広島で野球をやるつもりだった15歳は、突如として行き場を失ってしまったのである。
 
ただ、大いに不貞腐れ、自暴自棄になっていてもおかしくない状況にありながら、谷繁さんはそうならなかった。知人の伝をたどって島根県にある私立高校への進学を決めると、そこでめきめきと頭角を表していくのである。
 
「入学したときはピッチャーだったんですよ。でも、1年生の夏ぐらいかなあ、監督からキャッチャーをやれって言われて」
 
コンバートの理由、根拠は何なのか。監督からの納得のいく説明はなかったというが、命じられたらやるしかないのが当時の高校野球である。
 
言われるがままにキャッチャーに転向した谷繁さんだった。これまた冗談じゃない、と腐っていても不思議のない状況だったが、もしそうなっていたら、彼の人生はまるで違うものになっていただろう。
 
監督の目は正しかった。谷繁さんは強肩強打の捕手として注目の存在となり、2年時には母校を二度目となる甲子園へと導く。
 
3年時には2年連続出場を果たし、学校史上初の甲子園での8強入りを達成した。そしてその秋、大洋ホエールズからドラフト1位指名を受けるのである。
 

 
ここにも幸運があったと谷繁さんは言う。
 
「いくつかのチームから興味があるってことは言われてましたから、大洋以外のチームって可能性も十分にあったと思うんです。でも、もし入団したのが大洋じゃなかったら、野球人生、全然違ったものになってたでしょうね」
 
なぜ大洋に入ったのが幸運だったのか。
 
「まず、当時のチーム方針として、若いキャッチャーを育てなければ、というものがあったこと。それと、応援して下さっていたファンには申し訳ないんですが、正直、あのころの大洋は強いチームじゃなかった。少なくとも、勝利を義務づけられているチームではなかった。なので、高校に入ってからキャッチャーを始めたような、言ってみればシロウトに毛が生えた程度の選手でも使うことが許されたんです」
 
確かに、何よりも経験が要求されるキャッチャーというポジションにおいて、高校の途中から転向したという谷繁さんのキャリアは異例なほどに短かった。
 
巨人や阪神のような1試合ごとに厳しい目が向けられ、ちょっと負けが込むとすぐにファンやマスコミが騒ぎだす球団であれば、とても高卒ルーキーを起用する余裕はない。
 
ただ、あまり人気がない、注目度が低いということは、いいことばかりではもちろんない。
 
というより、興行としての面も持つプロ・スポーツの場合、圧倒的に大きいのはマイナスの側面である。
 
人気チームと不人気チーム。どちらでやってみたいかと問われ、後者を選ぶ選手はまずいないと言っていい。
 
それでも、谷繁さんは大洋に入ったことを幸運だと考えることのできる人だった。そして、ネガティブな要素の中からポジティブな答えを見つけ出し、成長のための糧にすることのできる人だった。
 
「高校受験に失敗したこと、ドラフトで大洋に指名されたこと。いろんな恩人に出会えたのも幸運でした。自分一人だけでは絶対にプロ野球の最多出場記録なんて作れなかったですから」
 
キャッチャーは育成が難しいポジションだと言われる。
 
逆に言えば、一度軸となるキャッチャーを育てることができれば、そのチームはしばらくの安泰が約束される。長く勝てなかった横浜に勝利をもたらし、落合監督率いる中日で黄金時代を築いた谷繁さんは、そのことを証明する一人である。
 
プロ野球とは、才能のある者だけが集う世界である。強肩で鳴らした谷繁さんでさえ「僕よりも肩が強い選手なんて数えきれないぐらいいましたよ」と言う。
 
だが、そうした選手がすべて1軍で活躍できたわけではもちろんない。
才能はプロの世界で生きていく上で不可欠な要素だが、成功を約束するものではないのだ。
 
俺は幸運だった──。
 
あと何年か、あるいは十何年か先、そう自分の人生を振り返ることができるのが誰なのか、いまは誰にもわからない。
 
スポーツは、人生は、だから面白い。

 
(かねこ たつひと)
 

金子達仁 プロフィール
1966年、神奈川県生まれ。スポーツライター。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部を経て、95年にフリーとなる。主著に『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)など多数。最新刊に『プライド』(幻冬舎)がある。

 

 

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