Wa-luck(ワラック)

2019.10.22
スポーツ

伊達公子・元テニス選手(みんなが知ってるスポーツ選手のめっちゃいい話 -vol.3-)

大望青年会スポーツ選手のめっちゃいい話


(天理教青年会より)
 

伊達公子 元テニス選手


 
自分でもつくづく幸運だなと思う。

サッカーが大好きで、サッカー雑誌を出している出版社に就職したわたしは、あろうことかテニス雑誌に配属された。男子校出身にしてサッカー原理主義者だった当時のわたしにとって、女子大生に人気のあるテニスはほとんど敵に等しい存在だった。
 
何が悲しくてテニスなんぞ。
 
憤懣やるかたなかったわたしは、入社早々にして退社の決意を固め、料理人への転身を本気で考え始めた。大学3年時にメキシコでワールドカップを観戦し、人生をワールドカップに捧げようと考えたからこその出版社就職だった。テニスを取材するぐらいなら、イタリアへ行って料理の勉強をし、ついでに90年のイタリア・ワールドカップを観戦した方がよっぽどいい。
 
いや、料理は今でも好きだし、レストランの厨房でバイトしていたときも、スジがいいとは言われていた。なので、料理の道に進んだら進んだでまた面白い人生になっていたのかと思わないこともないが、幸か不幸か、その年のインターハイは神戸で行われることになっていた。
 
当時もいまも、テニス雑誌における高校生の大会は一番の下っぱが任せられる取材である。ということは、夏まで我慢すれば、会社のカネで神戸に行ける。懐かしい小学校時代の旧友と思う存分酒を飲むこともできる。じゃ、夏までは我慢してやるか、と嘯いていたバブルど真ん中世代のわたしだった。
 
ところが、まるでやる気のなかった神戸出張がわたしという人間を全面的に変えてしまうのだから人生はわからない。端的に言うと、わたしはテニスに魅了された。ある一人の高校生プレーヤーによって、テニスにとりつかれてしまった。まあ、これだけならば若いライターが誰しも通る道、と言えないこともないのだが、わたしがとことん幸運だったのは、凄まじいオーラでテニス嫌いだったわたしの目を釘付けにしたその高校生が、伊達公子だったのである。
 
取材を終え、編集部に戻ったわたしは、すぐさま編集長に直談判した。それまでやる気どころか書きたいとすら言ったことのなかった新人編集部員の変心には編集長も戸惑っただろうが、大変に懐の大きな方だったということもあり、「伊達公子についての特集記事を書く」というわたしの企画はあっさりと受理された。
 
できあがった原稿は、いま読んだら穴を掘ってでも入りたくなってしまうような代物だったが、当時のわたしとしては持てる力のすべてを注ぎ込んだ原稿でもあった。そして、何より大きかったのは、掲載された記事を読んだ伊達公子が、兵庫県尼崎市にあった学校の寮から、10円玉をちゃりんちゃりん消化しながら東京の編集部まで電話をかけてきてくれたことだった。
 
感動しました。友達も泣いてました。
 
確か、そんな内容だったと思う。そらそうだ。将来を嘱望されていたとはいえ、当時の彼女はまだ全国的には無名の高校生。全国で発売されるテニス雑誌で大々的に特集されて嬉しくなかろうはずもない。はっきり言ってしまえば、彼女は小学生の作文程度の記事であったとしても感動したはずで、その証拠に、本人はこのエピソードをまるっきり覚えていなかった。
 
だが、わたしにとっては途方もなく大きな出来事だった。書くという行為で喜んでくれる人がいる。自分のようなつまらない人間でも人を喜ばせることができる。あの電話があったからこそ、わたしはライティングという世界に興味を持つことができた。サッカー以外の世界にも目を向けるようになった。そして何より、彼女が世界に駆け上がってくれたおかげで、自分の目を信じられるようになった。高校生の伊達公子を見ていなければ、後の中田英寿を無条件で信じることはできなかったかもしれない。
 

 
というわけで、わたしにとっての伊達公子は人生を決定づけてくれた大恩人であるのだが、ありがたいことに、2度目の引退にあたり、自叙伝的なものを書いてもらえないか、と彼女サイドからのオファーがあった。たとえどんなに忙しくても断るという選択肢はなかったし、幸いなことに、わたしは書き下ろしを年末に出版したばかりで、だいぶヒマだった。
 
本人からたっぷりと話を聞くのはもちろんだが、今回は彼女に親しい人たちにもずいぶんと協力していただいた。結果、わたしの中にあった“伊達公子観”みたいなものは大きく揺さぶられることになった。
 
途中、10年近くのブランクはあるものの、わたしにとっての伊達公子は、初めて出会ったときと基本、同じだった。陽気で、裏表がなく、あっけらかん。だが、テニスの世界で生きている人たちにとっての伊達公子は違った。彼女は、一言で言えば織田信長のように振る舞い、畏怖される存在だった。
 
覚えていらっしゃる方がいるだろうか、数年前、彼女は深夜にドーピング検査にやってきた関係機関の人間と激しくやりあったことがある。記事を読んだわたしは「へえ、そんなに怒るなんてよっぽどのことがあったんだな」ぐらいに考えていたが、ほとんどの人は「伊達さんらしい」と感じていた。彼女は一度目標を設定すると、それをクリアするために極めて綿密な計画を立てる。そして、ほんの少しでも計画が狂うのを極端に嫌うというのだ。
 
知らなかった。
 
彼女との取材の時間に遅刻してしまったことがわたしにはある。取材を終え、酒席を共にしていたとき、前後不覚になるまで酔っぱらってしまったこともある。さらにいうなら、今回の取材中、手術してギプスで固定していた彼女の肩を、酔っぱらってパンパン叩いてしまったこともあった。
 
無礼討ちもやむなしの所業である。
 
関係者への取材を進めていくうち、いったい何度、冷や汗が滲むのを感じたことか。きっと、彼女をよく知る周囲の人たちは、わたしがいつか地雷を踏みやしないかと、ヒヤヒヤものだったに違いない。
 
いや、わたしは幸運だった。彼女がわたしにとって初めての取材対象であったように、彼女にとってのわたしは、初めて密着取材をした記者だったらしい。言ってみれば、生まれたばかりのヒヨコが初めて目にした記者がわたしだったということか。

 
(かねこ たつひと)
 

金子達仁 プロフィール
1966年、神奈川県生まれ。スポーツライター。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部を経て、95年にフリーとなる。主著に『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)など多数。最新刊に『プライド』(幻冬舎)がある。

 

 

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