Wa-luck(ワラック)

2019.5.8
オススメ 信仰エッセイ 教理

ウッジョブ(枝と根 -vol.1-)

大望青年会枝と根

(天理教幅下大教会長・伊藤 芳正)
 
 

ウッジョブ

 教祖百三十年祭の年祭活動を象徴する動きに、系統を超えた大型の別席団参が挙げられる。「別席場を帰参者で埋め尽くす姿を教祖にご覧いただきたい」との親孝心に勇み立った。この実動で得た勇みは、その後も教会の常時活動としての別席団参の定着をもたらした。

 一斉の別席団参は別席者の増加のみならず、教会に繋がるよふぼく・信者にとって絶好の交流の場であり、実に楽しく有意義な一時だ。幅下大教会は毎回観光バスを借りて、往路は、別席への誘いの思いを込めての挨拶に始まり、逃げ場の無い車内でDVDを使ってじっくりと講話を拝聴するのが常。復路は一転、帰参の喜びを分かち合う宴会の場となる。昨年の11月の団参の帰路は、一献に続き、話題作となった『WOOD JOB!』というタイトルの映画を楽しんだ。

 物語は、受験に失敗した若者が、ひょんなことから林業に携わるところから始まる。大都会でスマートフォンを片時も離さない生活から、電波も届かない山奥での奇想天外な暮らしがおもしろおかしく映し出されてゆく。

 ある日、樹齢百数十年という大木の切り出しに関わるのだが、原木の競り市でのこと。予想を遥かに超える高値での取引きがされたことに青年は大いに驚き、興奮して親方に次のようにまくし立てる。「木って高く売れるんですね。親方、億万長者じゃないですか。どうしてこんなボロ車乗ってるんすか? 木をどんどん売ってベンツに乗りましょうよ……」、すると親方は、「そうだな、全部売れば確かに俺は贅沢できるな。でもな、今日売った木は、俺の曾爺さんが苗を植えて、爺さん、そして親父が下草刈りや枝打ちをし、真っ直ぐな大木に育てたものなんだ。俺がそうした爺さん達の丹精を全部食ったら、俺の子や孫はどうなるよ。俺ら林業の仕事はな、農業と違って、自分が育てたものの出来栄えは味わえないんだ」

 

 
 教祖百三十年祭活動の仕上げの年のこと。幅下大教会も名京大教会から分離した教会の一つとして「名京会一斉別席団参」に加わらせていただいた。名京も含めて10の大教会が揃っての初の別席団参を数日後に控えた、最終打ち合わせの席でのこと。大教会ごとに別席者と帰参予定数を発表することとなった。どん尻に控えていた幅下の予定数を発表すると、同席の皆様から拍手をいただくこととなった。その瞬間、私のお尻は10センチは浮いていたと思う。会議を終えて詰所にもどると、当時、天理教校本科実践課程で学んでいた三女が、「お父さん、曾ばあちゃんが会長の時の記事を見つけたから持って来たよ」と、なんと昭和三十五年の『みちのとも』を差し出した。そこには歴代の幅下の会長さん方がたどった苦労の道中が、次のように綴られていた。
 

【当時の教会の常食はおからであった。ある日、青年が豆腐屋におからをもらいに行くと店主は、「教会にはさぞかし沢山のウサギがいるんだな」と、からかった。青年は負けじと、「そうだよ教会には数え切れないほど沢山のウサギや鶏を飼っているんだ」と、答えはしたものの、悔し涙を流しながら、そんなやり取りがあったことを祖母に話した。すると祖母は会長として、「教会の恥にならないように言ってくれたんだね。だけどお道はね、人に笑われそしられて珍しいおたすけがいただけるんだから、何も恥じることはないんだよ」と、頭をなでて励ました。そんなどん底の教会事情の中に、名京の教堂普請が打ち出された。この親のご用に幅下からいち早く百二十俵の献米をさせていただくことができたのだ。近隣の人々は大八車に山と積まれた米俵と献米の幟を見て、どうせ中味はアワか糠だと冷笑した。しかし幅下の一同の真実は勇みに勇んで名京に届けられたのだ……云云】

 
 どれほど高慢ちきな私でも、このタイミングでこの史実を知れば、この団参に頂戴した成果の陰には、おからを食べながらも名京へと真実を運び尽くして下さった先人の伏せ込みがあったからこそと、尊きものだねを味わい、娘の前もはばからず涙が溢れた。

 

「草鞋はいてだん/\ 運び、重く徳積んでこそ理が効く。」
(M31・11・4)

 
 道の信仰を継承している私達は、子や孫の幸せを思い願って、我が身には慎み深く、伏せ込んで下さった親々の末裔であることを忘れてはならない。
 果たして、「大木を売り払って、親方、ベンツ乗りましょう……」、そのような、我が身の栄耀栄華を求め、先細りの運命を送るような身勝手な生き方になっていないだろうか?
 
 報恩の道を行く道の信仰者として、自分の足下にいただく山のような親の丹精の味わい、せめて我が身に掛けていただくお陰ぐらいは、子や孫の時代にお返しして、やがて、子や孫達から、「親のお陰で……」と、思ってもらえるような今を生きたいものである。
 
(いとう よしまさ)