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2020.5.14
信仰エッセイ 教理

15歳からの教理 vol.7 〜いんねん〜(Happist)

Happist学生担当委員会15歳からの教理

15歳からの教理

天理教教会本部准員/天理教山名大教会長 諸井 道隆

 
 

 

第7回 いんねん

陽気ぐらしをするために生まれてきた

 
「天理教では、人は死んだらどうなると教えられているのですか」
これは、先日、「にをいがけ」先で知り合った年配の方から受けた質問です。
 
そこで私は、「人が死ぬということは、親神様(おやがみさま)からお借りしている身体が老いたり、病気などで生きられなくなった時に身体をお返しすることで、ちょうど古くなった着物を脱いで新しい着物と換えるように、また新しい身体をお借りしてこの世に生まれ替わって来るのです。
 
だから天理教では、死ぬのではなく「出直し」をするのだと教えられています」と説明しました。すると、その人からは、「ああ、それは輪廻転生(りんねてんしょう)ということですね」と、変に納得したような言葉が返ってきました。
 
輪廻とはもともと仏教の思想で、辞書によると「車輪が回転してきわまりないように、衆生(しゅじょう:いのちあるもの)が三界六道(さんかいろくどう)に迷いの生死を重ねてとどまることのないこと。迷いの世界を生きかわり死にかわること」と説明されています。
 
「三界」とは、欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)、「六道」とは、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天(てん)の六つの迷界(めいかい)で、人は、生まれ替わりを繰り返しながら、自らの善悪の業(ごう)によってこの各界を行ったり来たり永遠にぐるぐる回っているという重苦しい考え方です。
 
そこで私は、答えました。
「いえいえ、輪廻転生とは違います。人は死んでからは、地獄にも極楽にも天国にも行きません。この世からこの世へ生まれ替わる。ただそれだけです。
と、説明すると大変驚かれました。
 
すると次に、「では、死んだ後に行くあの世の様子は、どのように教えられているのですか」と、聞いてきました。それに対しては、「借り物の身体をお返しすると、次に生まれ替わるまでの間は、魂は、親神様が抱きしめてくださっていると教えていただきます」
と話すと、よくありがちな霊界の話を期待していたのでしょうか、拍子抜けしたような顔をしていました。
 
そこで私はさらに次のように付け加えました。
「つまり、天理教の教えでは、世界はこの世一つだけで、あの世というような異世界はないということです。何回生まれ替わってもステージはこの世だけで、この現実世界でいかに心豊かにしっかりと生きるかということが最も大切な問題なのです」
そこまでお話しして、やっと理解していただけたようで、出直しという教えは現実的で、それでいて何だか前向きでいいですねと感心してくださいました。
 
では、生まれ替わるということはどういうことなのか。少し難しい話になりますが考えてみたいと思います。
 
『天理教教典』第三章「元の理」のお話によると、そもそも親神様がこの世と人間を創造されたのは、子どもである人間をつくって、その人間たちが「陽気ぐらし」をするのを見て親神様も共に楽しみたいと思いつかれたからで、親神様のご守護によって最初に産みおろされた人間は、五分(約1.5センチ)というごく小さい生命体から始まり、三度の出直しと、八千八度(はっせんやたび)の生まれ替わりを繰り返して進化し、その間、世界が形成されるに従って水中の生活から陸上の生活をするようになります。さらに親神様が知恵と文字を仕込まれると、そこから文明が生まれて人間は現在の姿になるまで成人しました。
 

 
その間、九億九万九千九百九十九年ということですからおよそ十億年以上、私たちは気の遠くなるような回数の生まれ替わりを繰り返してきた末に、今この時に生まれつきました。
 
そして、元初まり以来の陽気ぐらしへの歩みは今も続いているのです。
このことから『天理教教典』には、人間には、陽気ぐらしをさせたいという親神の思いが込められている。これが、人間の元の「いんねん」である。と書かれています。
 
「いんねん」とは、辞書によると「原因・理由」という意味です。「元のいんねん」とは、人間がこの世に存在するもともとの原因・理由が陽気ぐらしにあることを示しています。
 
このように私たちは、生まれ替わりを繰り返しながらさまざまな時代を生き抜いてきたということですから、それぞれの魂は、歩んできた過去の遍歴や繋がりを持っています。これを「前生(ぜんしょう)のいんねん」と言います。
 
親神様は、「前生のいんねん寄せて守護する」というお言葉で、今生(こんせい)において夫婦となるのも親子となるのもすべて前生のいんねんによって成るのだと教えられています。
 
また、私たちは、前生において良いことをたくさんしてきたでしょうし、逆に親神様の陽気ぐらしの思いを知らなかったばっかりに、「ほこり」を積み上げ、わがまま勝手なことをして生きてきたこともきっとあったはずです。
 
しかし前生の記憶はありませんから、自分で振り返って思い出すことはできません。前生のことを覚えていたのではお互いにいろいろと不都合なことがあるので見えないようにしてくださっているというようなことも聞かせていただきます。
 
今生の人間関係に支障のないように親神様がわざわざ見えないようにしてくださっているのだと思いますから、見えなくて良いのです。
 
ですが、その一方で、次のようにも聞かせていただきます。
 

いんねんと言うて分かるまい。皆これ世界は鏡、皆人間生れ更わり、出更わりしても、心通り皆身に映してあるから、よく聞き分け。
『おさしづ』 明治21年2月15日

 
このお言葉の意味は、いんねんといっても人間には、記憶のないことは分からないだろうから、前生に使ってきた心通りの姿を生れ替わっても鏡のようにそれぞれの身に映してあるから、見せられる事柄から判断して悟るようにとの思召(おぼしめし)です。
 
お道の先人のお話によると、
 

15才より今までしてきたことは良き事も悪しき事も皆いんねんとなって今生か来生で必ず現れる。良きいんねんは、皆が喜ぶことであるのですぐと現し、すぐと返してくださるが、悪しきいんねんは、できるだけ先のばしにしてくださるというように聞かせていただきます。
『正文遺韻抄』 221頁

 
今生は前生の続きであり、今生は来生へと繋がっています。ですから、私たちの一日一日の心遣いや通り方が、今の生涯だけでなく先の来生未来へ繋がっていることを自覚して今の一日を大切にして責任ある生き方をすることが肝心なのです。
 

 
こうして考えてみると親神様がいんねんを現されるのは、厳しい罰のように思ってしまいがちですが、そうではありません。『天理教教典』には次のように書かれています。
 

親神が、種々(いろ/\)といんねんを見せられるのは、それによつて人々の心を入れ替えさせ、或いは勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであつて、好ましからぬいんねんを見せられる場合でさえ、決して、苦しめよう困らせようとの思召からではない。いかなる中も、善きに導かれる親心にもたれ、心を治めて通るならば、すべては、陽気ぐらしの元のいんねんに復元されて、限りない親神の恵は身に遍く、心は益々明るく勇んで来る。
71頁

 
私たちが人生を歩む中には、さまざまな困難や苦労に直面することがあります。しかし、どんな境遇になろうとも、現れてくることに自分のいんねんと親神様のお導きを察して、現実の中に感謝と喜びを見出して前向きに生きることが、状況を打開する唯一の道だとお教えくださっています。そして、この心の持ち方を「たんのう」と教えられます。
 

つづく

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15歳からの教理 vol.1 〜たんのう〜
15歳からの教理 vol.2 〜徳を積む〜
15歳からの教理 vol.3 〜親神天理王命〜
15歳からの教理 vol.4 〜かしもの・かりもの〜
15歳からの教理 vol.5 〜ほこり〜
15歳からの教理 vol.6 〜よく〜