お母さんと呼ばれる日々 vol.9「暖炉の前で」(さんさい・松上京子)
第九回 暖炉の前で
今年も暖炉の火が恋しい季節になってきました。忙しい朝はファンヒーターや普通のストーブも使いますが、夜は柔らかな温もりが体や家を優しく包んでくれる暖炉です。エアコンやファンヒーターと比べ少々手間がかかりますが、暖かさの質がまるで違うのです。火をおこす時にはまず細い枝や小さな木切れなど燃えやすい物を先に置き、その上に少し大きめの薪を重ね、徐々に燃え移って広がるようにします。炎が安定してからも、ずっと放りっぱなしにはできず、タイミングを見計らって薪を追加しなければなりません。干渉し過ぎる必要はないけれど、ゆったりと炎を見守る。どこか子育てに似ているかもしれません。
結婚して家を新築する時、アウトドア好きな私たち夫婦は木の香り漂うログハウスを建てたいと思いました。残念ながら敷地の状況などいくつかの理由であきらめましたが、できるだけログハウスの雰囲気を感じられるような木造の家を建て、念願だった暖炉も置きました。
とても満足でしたが、娘がハイハイやつかまり立ちをするようになると、私は暖炉の火が心配になりました。近づいて行って火傷をしたら大変です。
「紗代が危ないから、暖炉の手前に囲いを作ってよ」
そう言うと夫は、「そんなものは必要ない。動物は火を恐れるもの。近づいて行くはずがない」と自信満々で答えるのです。
「動物? 赤ちゃんやで。自分の子どもやで」
私は憤慨しましたが、夫はまるで取り合ってくれませんでした。
庭の塀の時も同じでした。みかんのだんだん畑に囲まれた我が家では、庭の端まで行くと崖のようになり、三メートルほど下に一段低い畑が広がっていました。夫がもらってきた古い木の電柱で転落防止の塀を作ってくれましたが、子どもが簡単に乗り出せるほどの高さしかありません。
「落っこちたら大変やから、もうちょっと高くして」と頼んだのですが、
「高くしたら眺めが悪くなる。動物は自分で危険を察知するもの。そうしなければ生き残れない」などと、もっともらしいことを言って、塀は低いままでした。
よちよち歩きの時は塀にもたれて頭から落ちないか、活発に動くようになると調子に乗って塀にのぼり足をすべらせないかと冷や冷やしたものですが、二人とも転落することも、火傷することもなく大きくなりました。
夫が言うように動物の本能なのか、たまたま運が良かっただけなのかはわかりませんから、こんな対応は誰にもお勧めしません。
さて、とにもかくにも部屋の中にある炎は私たちにとって危険なものではなく、団らんの中心でした。暖炉の火にアルミホイルで包んだサツマイモを入れて焼き芋を作ったり、同じ要領で焼きニンジン、焼き玉ねぎを作ったり、また暖炉の前でボードゲームをしたりして夜の時間を楽しみました。
子どもたちがベッドに入ったあとも、夫と二人で小さなグラス一杯のお酒や熱いコーヒーを飲みながら、とりとめのない話をしました。ゴーッと燃え盛る炎を眺め、パチパチと薪の爆ぜる音を聞いていると、時間が経つのを忘れ夜更かししてしまいます。
途中、そっと寝室をのぞきに行くと、子どもたちは気持ち良さそうに寝息を立てていました。ありったけの縫いぐるみを顔の周りに並べ埋もれたように眠る娘。布団を蹴飛ばし、がに股で何やら寝言を言っている息子。私は布団をかけなおし、二人の頭をくしゃくしゃっとなでてやりました。
カーテンとガラスを隔てた向こう側には冷たく静かな星空が広がり、オレンジ色の明かりが灯る部屋には夫の笑顔と子どもの寝顔、そして温かい飲み物がある。
「ああ、いい夜だ。全部そろってる。足りないものが何もない」そう思いました。
子どもたちが成長するにつれ、全員が暖炉の前に集まることは少なくなりましたが、あの頃、忙しい中で感じた「いま自分は満ち足りているんだ」という忘れがちな気持ちは、時々ふっと蘇ってきます。また暖炉の火を見たくなってきました。
松上京子プロフィール
まつうえきょうこ/エッセイスト。25歳のときに起きたオートバイ事故で車椅子の生活になる。34歳で結婚後は、2人の子供のお母さんとして奮闘している。著書に『さよちゃんのママは車椅子』(小学館)などがある。
イラスト
松上紗代