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2020.2.29
信仰エッセイ 子育て

お母さんと呼ばれる日々 vol.7「小さなお手伝い」(さんさい・松上京子)

さんさいお母さんと呼ばれる日々少年会

第七回 「小さなお手伝い」

「はい、もしもし。お母さんは今お皿を洗ってます。お母さんに代わります」
まもなく小学校に上がろうとする頃、娘は私の手が離せないときなど、頻繁に電話に出てくれるようになりました。他にも、シーツを洗濯して干す時に、反対側の端っこを持ってピンっと広げるのを手伝ってくれたり、車で一緒に出掛けて葉書をポストに入れてくれたり、よくお手伝いをしてくれました。
そして「お母さん、さよ、役に立つ?」と、くるんとした目で私の顔を覗き込んで尋ねるのです。
「うん。ものすごく役に立つよ。ホンマに助かるわ。ありがとう」
それを聞いた娘は満面の笑みを見せました。
初めてお手伝いらしきことをしてくれたのは二歳半の頃だったと思います。

ある日の夕方、娘が「おさんぽ行きたい」と言うので、夕食の支度を後回しにして、二人で近くをぶらぶらと歩きました。
「これは葉っぱ、これは何かの実。こっちは干からびたミミズ」
道すがらいろいろなものを見つけては立ち止まり、おしゃべりしながらゆっくり散歩をしていると、わずかながら上り坂になっている場所がありました。
その時、それまで私の横を歩いていた娘がさっと後ろにまわり、
「さよちゃん、押したげる」と言ったのです。
ついこの間まで、娘にとって車椅子を押すことはおもちゃの手押し車と同じ感覚で、“押すと進んで面白い”だけのものでした。
いつから車椅子を押すことの意味を知るようになったのでしょう。いつから上り坂で私が大変だということに気づくようになったのでしょう。
グリップを握り、まだ頼りない歩みで足を必死に踏ん張り、車椅子を押してくれる娘を心底愛おしいと思いました。
「うわぁ、ありがとう。お母さん、楽チンやわ」
本当は、自分で車椅子を操るのに慣れた人なら、下手に押されるとかえって進みづらいものなのです。
けれど、わずか二歳半の娘が一生懸命私を助けようと頑張ってくれていることは喜びでしかありませんでした。少し大げさなくらいに思いっきり喜んで見せると、娘は満足そうに微笑み、こう言いました。
「さよちゃん、やさしい。さよちゃん、かしこい」
言葉数が一気に増え、表現も豊かになってきたおかげで、ちゃっかり自己アピールも忘れません。「そうやなぁ」と、思わず、くすっと笑ってしまいました。この時、私のお腹の中にはもう一つの新しい命が宿っていて、ムクムクと動く力強さに日々喜びをかみしめていました。もうすぐお姉ちゃんになることを知っているかのような娘の成長ぶりに喜びはさらに増し、私はしみじみと小さな幸せを味わいました。


親が子どもを愛するように、子どももまた精一杯親を愛してくれます。どんな親であっても、子どもは一途に「大好き」という気持ちをぶつけてくれるのです。
頼りなく、自信がなく、充分でなく…と、親として自己嫌悪に陥ることがあっても、ただ居るだけで自分は子どもに愛されているのだと、それだけは心に留めておいて欲しいと思います。
さて、自分がお母さんの役に立っていることやお手伝いをすることに喜びを感じ、自信をつけた娘の電話の応対はさらに磨きがかかってきました。事細かにこちらの様子を先方に伝えてくれるのです。
「はい、もしもし。お母さんは今トイレでおしっこをしています。私はまつうえさよです。弟の名前はエイスケです。あっ、もう水流してるんですけど、お母さんに代わります」
そこまで詳しく言わなくていい。やめて!と私は心で叫びました。
トイレから出てすました声で、
「お待たせいたしました。どうも失礼なことを…」と取り繕いましたが、先方も困った声で「いやいや。しっかりしたお嬢さんですね」ぐらいしか言うことがありません。顔がほてり、真っ赤になっていることは鏡を見なくても分かりました。嬉しくて恥ずかしい、娘の小さなお手伝いの思い出です。

松上京子プロフィール
まつうえきょうこ/エッセイスト。25歳のときに起きたオートバイ事故で車椅子の生活になる。34歳で結婚後は、2人の子供のお母さんとして奮闘している。著書に『さよちゃんのママは車椅子』(小学館)などがある。

イラスト
松上紗代

 

<vol.1 「あの日の約束」はこちら>

<vol.2 「怒りを鎮める処方箋」はこちら>

<vol.3 「風の強い朝」はこちら>

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<vol.5 「命を想うとき」はこちら〉

<vol.6「抱っこ、抱っこ」はこちら〉