Wa-luck(ワラック)

2019.10.15
信仰エッセイ 子育て

「風の強い朝」〜お母さんと呼ばれる日々 vol.3〜(さんさい・松上京子)

さんさいお母さんと呼ばれる日々少年会

「風の強い朝」

まどろみから覚めたばかり、朝ご飯の食卓を囲んでいた時のことでした。私は向かい側に座る夫と静かに雑談をし、夫の隣には一歳半を過ぎた娘がちょこんと座っていました。窓から入る日差しは明るくまぶしいものの、その日はいつになく風が強く、ひゅううう、と電線を鳴らす風の音がガラス越しに聞こえ、木々がゆっさゆっさと揺れているのが見えました。

ピンクのパジャマに腹巻き姿の娘は、ふと窓の外を見て「風、きついなぁ」とつぶやきました。その瞬間の夫の驚きの表情を忘れることができません。ハッと一瞬目を丸くし、「おっ…、お、お、お、おう。そ、そ、そうやなあ」と、娘の方に向き直りどうにか返事をしていますが、明らかな動揺が見てとれました。理由はわかっています。娘が人間らしい言葉をしゃべっているのに驚いたのです。

夫は父親としては少し変わった人でした。生まれて間もない娘を指さし「この人、“ほぎゃ、ほぎゃ”ばかりで何を言ってるのかわからん」とか「ぼくの言ってることも通じてないみたいや」と、まるで宇宙人を相手にするかのように困惑していました。おむつ替えを頼めば、ウンチを発見した途端「うっ、無理や」とテープを止めておむつをもとに戻し逃げ出す始末。赤ちゃん 用の風呂桶を準備し、そっと優しくガーゼで体を洗うやり方を教えても「そんなもんは要らん」と、風呂場の床に娘をどんと置き水圧を強にしたシャワーでジャーッと洗い流したりしていました。 育児は女性の仕事というような、古い男女の役割にとらわれた考え方をする人ではありませんし、子どもへの愛情が足りないというわけでもありません。ただ彼は赤ん坊という生き物にどう接していいかが本当にわからないようでした。加えて仕事が忙しく、遅い時間に帰宅することも多かったせいで、あまり娘の世話はできず、成長に気づかないまま過ごしていたのです。

彼は娘をいつまでも小さな赤ん坊と思っていたのでしょう。すでに二語文を話せるようになっていたとも知らず、仰天した夫の顔が可笑しくてたまりませんでしたが、それには気づかないふりをして「ほんまやなあ。今日は風強いなあ」と、私は娘に微笑みかけました。毎日子どもを見ていると小さな変化に気づきます。生後七ヶ月を過ぎた頃には可愛い歯が生えてきて、これでもっといろいろなものが食べられるとうれしく思いつつ、「うーん、できすぎている」と感動を覚えました。こんなに小さな歯も爪も、鼻も耳も、大人とまったく同じ形で同じ機能を果たしているこ とが私には不思議でしょうがなかったのです。 体の動きもそうです。生まれてすぐに誰に教えられなくともお乳を吸い、やがて首がすわり、寝返り をし、腹ばいからお座りができるようになっていきます。うつ伏せのまま少し前に進み「やった、ハイハイができた」と喜んでいたら、あっという間にお腹を持ちあげて這うことができるようになっていま した。

「ちゃんと順に進んでいくんだ。私は毎日すごいものを見てる」といちいち驚いてばかりです。そこには私たち人間の及ばない力の存在、何か大きな計らいがあるように感じられました。子どもの間近にいる母親はいつだって奇跡の目撃者なのだと思っていました。 母親に比べ子どもと接する時間が短い父親は、初めての寝返りやひとり立ちなど、その瞬間を見ることは少ないかも知れません。けれどおとといより昨日、昨日より今日といった変化なら見られるでしょう。

「忙しい、忙しい」ばかりで、次々起こる奇跡を見逃してしまうのはもったいないことです。仕事を大切にしながらも奇跡の時間をできるだけ共有してほしいと思います。「風、きついなぁ」の朝以来、うちの夫も本当にわずかずつ、ぎこちなく、そしてゆっくりとですが、 子どもの成長に目を向け、父親らしくなっていったような気がします。

松上京子プロフィール
まつうえきょうこ/エッセイスト。25歳のときに起きたオートバイ事故で車椅子の生活になる。34歳で結婚後は、2人の子供のお母さんとして奮闘している。著書に『さよちゃんのママは車椅子』(小学館)などがある。

イラスト
松上紗代

 
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